A 教科書問題とは――授業者として考えてきたこと・比較作業を通じて見えてきたこと
私は、高校で歴史授業を担当してきた関係で、いわゆる教科書問題が話題になるたび、当事者意識で関心を払ってきた。また、高校生と長年接してきて「日中戦争を侵略戦争であった、と生徒たちは認識して育っている。その一方で、小林よしのりの書物の影響を受ける生徒も増えている」と感じていたころ、扶桑社の教科書が出版されて一層、教科書問題に注目するようになった。
扶桑社版を批判するためにも自分たちが使っている教科書の吟味は必要なことである。教科書に良いもの悪いものがあるかどうか、という関心もあった。(日本史でいえば、複数の教科書会社から毎年20種類前後の教科書が出されている)。教科書を選べる立場の現職の時にこそ教科書の吟味はやるべきだったが、退職後にやっと教科書の比較作業をすることができた。その結果、目的を達成することができたと思っているが、期せずして「教科書問題とは何か」を考えることにもなった。あくまでも、「私にとっての教科書問題」なのだが。
私は、在職当時も現在も、たかが教科書、結局は教師の力量と姿勢が大事、と思っている。しかし、この作業を通じて、歴史研究者、執筆者、出版編集者、授業者の真摯な取り組みも見えてきて、教科書とは、現時点での研究成果や課題到達点を図る基準になりうるものと思うようになった。(その点でも扶桑社の「新しい歴史教科書」は不真面目だと思う。) どの教科書でも一緒、ということはない、と今は考えている。ではどのような教科書がよいのか、どのような基準があるのか、人によって違っているものなのか。いいかえれば、教科書問題とは何か、であるが、私は以下のように4点に整理することができた。この比較調査のタイトルを「教科書と朝鮮」としたのもその結論としてである。
高校教科書と朝鮮関係記述(2009年12月8日作成)
@ 朝鮮関係の記述の少なさ、あるいは関心の薄さ
400ページ近い高校日本史教科書の朝鮮記述の比率は4%という指摘がある。やはり少ないといえるだろう。しかし朝鮮への関心の低さは教科書記述に限ったことではない。人名地名、出来事、朝鮮関係の何を知っているだろうか。地域ガイドブックをくってみる。市販のと県外教の「兵庫の中の朝鮮」と比べて、同じ地域の歴史ものとは思えない内容の違い、ふたつの異なった世界があるかのようで戸惑いを感じる。
A 戦争責任問題、戦後補償の視点の欠如(項目
いわゆる歴史認識問題。実際に教科書の記述は批判され続けているようにそれほどどうしようもないのか。学校は本当に何も教えていないのか。実際に教科書を読み比べて見るとそうでもありそうでもない。教科書という制約の中で侵略や植民地支配の記述は比較的よく書かれているし多くの人が侵略戦争の認識は共有している。では、何が問題なのか。何が不足しているのか。そこでは、教科書問題という枠を超えた、日本人の戦争責任の認識のありようが問われることになる。また、朝鮮と日本のかかわりを真剣に見つめてこなかったことが問われことになる。
B 誰のための教科書、何を目指した日本史教育
比べてみてやはり際立っているのが家永三郎の教科書。氏の関心事は、侵略の事実を書くこと・日本の民主化を実現できなかった原因を明らかにすること、の二つにあった。平和で民主的な社会を担う市民=国民の創設を目指す、という明確な教育目的は日教組の理念でもあって私もそのような教育を受けてきた。検定強化で教科書冬の時代と言われた60年代に「私たちは日本人である。(中略)日本人は真剣に過去を反省してみなければならない」と日本人の戦争責任を問題にしているのはさすがである。ところで、国民教育ということからくる「我々日本人は」「わが国の文化は」「わが国は」といった国民概念の多用(80年代まで多くの教科書がそう)は、ある時期から間尺に合わないことがあきらかになってきた。外国籍の子供の存在が見えてくるようになった時、私たちはこの語句を使うことをやめた。また、日本人とはだれか、という問いは以前からあったが、戦争責任問題を自覚した時、「我々と日本人は同一か」「国民と日本人は同じか」「反省すべき日本人とはだれのことか」という問いは新たな意味を持ってきたのではないか。現在の教科書では、「わが国は」「我々日本人は」という表現はほとんど見られない。しかしそうなれば、主語がはっきりしないという批判を受ける(藤原信勝氏は、従来の教科書批判の理由の一つにこれをあげている)。歴史の中の「我々」とはだれを指すのか現在の教科書記述は曖昧なままと思われる。新しい枠組みが求められるゆえんである。
新たな歴史教育の枠組み考えるとき、日韓、日中韓の共通教科書作成が始まりすでにその成果も表れ始めているということは注目に値する。研究者は共通の歴史を記述することの困難さを口にしながら(なぜならば、現状での各国史は自国の「国民の歴史」の段階にあるからだ)共通の歴史記述が和解の道につながると確信している。私たちがこれら共通教材・共通教科書を読むと、この作業は和解をのみ、もたらすのではないこともわかる。それは、自己像の相対化ということ。東アジア地域史となるとこれまでの枠組みは通用しないし、鳥の目で俯瞰することにより、意識上の国家の解体を経験するし、と同時に隙間に生きる地域や人々が主人公として見えてくる。思いがけない、歴史の新たな枠組みがあらわれてくるようで胸がときめく。
W 他国に比べると日本の歴史教科書は大変薄く、授業時間も少ない
これは少し思いがけない気がするが、日本の歴史教育の在り方はこれも含めて根本的に検討が人ようかもしれない
これ以外にも問題はあるかもしれないが、肝要なのは@とAなかんずく@だと私は考える。朝鮮への無関心、無理解。なぜ、いつからか、ずっと昔からか、征韓論からか、戦後になってからか、高度経済成長期からか。なぜきちんと向き合えないのか、顔立ちの似た隣人だからか、儒学思想のせいか、日本があまりにひどいことをしたので恥ずかしいからか、全く無知だからか、日本人の性格的なものか、冷戦のせいか、朝鮮にも責任はあるのかetc。きちんと向き合うチャンスは何度かあった。まず敗戦直後。次に60年代―明治百年祭というものがあった頃、司馬遼太郎が「坂の上の雲」を書いた頃―そして現在。様々な角度からこの問題が検証されることを願う。日本史教科書の比較検証はその一方法と思っている。(この作業は、戦後の政治、教育、国際関係、国民意識などを通史として振り返ることにもつながった。それは戦後直後生まれの私自身の自分史をたどることにもなった。期せずしての副産物。)
参照教科書(高校日本史教科書は毎年20種類くらい出版されている。大学受験用として多くの高校生が使用する教科書は「詳説」とか「日本史B」なのでこれを選んだ。山川出版のものは優れているからではなく、全国シェアがダントツに高いためと私もそれを使用してきたからである)、
a 戦後すぐから10年ごとの山川出版高校日本史教科書(1956、64、74、88、98、2007 2009)
b 家永三郎「高校日本史」(三省堂 1964、1988、2007)
c 実教出版「高校日本史」(2007 2009)自由書房・桐原書店(1994、2007)
d 扶桑社「新しい歴史教科書」(これは中学版なので参考程度。2002、2005)
e 文部省国定教科書「日本の歴史」(1946)
f その他 三国共通教科書「未来を拓く歴史教科書」(2005 高文研)
「向かい合う日本と韓国朝鮮の歴史」(2006 歴史教育者協議会 青木書店)
「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史―先史から現代まで」(2007明石書店)
「日本と韓国の歴史共通教材を作る視点」(2005 梨の木舎)
「揺れる境界 国家地域にどうむきあうか」(2009 坂井俊樹他 梨の木舎)
「大人のための近現代史 19世紀篇」(2009 三谷博他 東大出版)
B 教科書の記述(教科書比較一覧参照 @などの数字は一覧表の項目にあわせています)
古代篇
@ AB古代王権
古代政権の成立の時期と範囲に関して、70年代半ばころまでは神話的な記述が残されている。単一民族であり、集権的な国家であることは自明とされている。
C朝鮮との関係
長い間、「大和朝廷が4世紀ころから、朝鮮半島に政治的な支配を及ぼしていた」「拠点としての任那日本府」という日本優位論が常識となっていた。根拠はもっぱら「日本書紀」、証明するものとして高句麗好太王碑文、石上神宮七枝刀碑文、宋書倭国伝があげられる。1946年の文部省「日本の歴史」はもちろん、1970年代の教科書にもほぼ同様の記述。石碑全体と拓本の写真を同時に掲載した教科書が多かった。この、優位論が朝鮮植民地支配の正当化の論の一翼を担っていたにもかかわらず、また、戦前の歴史教育への痛切な反省がありながら長く疑問視もされずにきた。71年の李氏の問題提起以後、古代王権の成立時期と
勢力範囲も含めて論争が活発化し、あわせて古代日朝関係史が見直されてきた。教科書にも70年代後半から大きな変化がみられる。
D渡来人・飛鳥文化
Cとも関係し、百済・新羅文化への評価は低い
E中世
そもそも朝鮮の中世の記述が非常に少ない。07桐原版はその点「東アジアの変動と遣唐使の廃止」という項目を立てて新羅と日本の交流、遣唐使派遣中止に至る新羅の事情、その後のアジア交易圏の豊かな広がりについても詳しく記述していて目をひく。ここが押さえられれば、東アジア世界の古代から近世江戸時代にいたるまでの連綿と続く豊かな交流史が了解できるはずだ。
モンゴルの襲来に関し、高麗の役割や高麗の反モンゴルの動きの記述は1970年代になって教科書に登場。そもそも高麗国の記述が少なく、高麗を理解する手掛かりが教科書からは得られない。倭寇については早い時期から比較的記述は多いが中国との関係が中心だった。最近では国境の枠を超えた広域の交流があったことの記述が多くなっている。
F近世
秀吉の出兵が重要視されるのは教科書上では1980年代になってから。それとともに1〜2ページにわたって、李舜臣、日本に連行された朝鮮人のこと、被害の大きさなど、かなり詳しく記述されるようになった。
G通信使
私たちの長い間の常識=江戸時代は鎖国政策によりオランダ・中国とのみ貿易がおこなわれた・その結果閉鎖的な時代が続き、世界から取り残された―を訂正する為には朝鮮との交流をきちんと押さえる必要がある。明治以後の厳しい関係を理解するためにも、この時期の日朝交流の内容と東アジア情勢の理解は必要。通信使の記述は戦後すぐの教科書にも見られるが、江戸時代初期の記述で終わっているのがほとんど。
近現代篇
@ AB征韓論から日清日露戦争、韓国併合
江華島事件の真相が教科書に書かれるのは1980年代以後のこと。征韓論争はかなり詳しいが、明治政府内の権力闘争の説明としての記述である。朝鮮の近代化への努力も、朝鮮を日本が併合するための日本側の都合に合わせて、朝鮮の国内事情として説明されている。日清戦争、日露戦争の教科書記述は量的には多いが、日本・ロシア・中国の事情と国際関係から記述するばかりで、朝鮮の動きは少なく、なぜ、友好関係にあったはずの両国がこのようになっていくのか理解できる説明は少ない。そもそも、戦後間もないころの教科書は全体的に明治政府への評価が高いことから、相対的に朝鮮への視点が厳しいものとなっている。
CD植民地支配下の朝鮮
1945年の日本の敗戦後も朝鮮への視点は冷淡で無責任。朝鮮植民地支配の実態が教科書に記述されるのが80年代後半と非常に遅い。中国戦線の記述が1970年代から始まっているのと比してもあまりに遅い。植民地支配とはどういうことなのか、日本人の認識にこのように時間が必要だったということ。2000年代に入ると主題学習の形をとったり項目を立てたり詳細になってきている。実教出版、東京書籍、桐原書店の記述は特に良心的だが、他の教科書でも比較的この項目は多く記述されている。「従軍慰安婦」の記載は91年の訴訟を機に94年から始まり、検定強化の現在でもほとんどの教科書に記載されている。
E義兵闘争
安重根の伊藤博文暗殺や三・一闘争は60年代にも記述され、80年代以降は反日義兵闘争の記述も見られる。しかし、朝鮮の独立運動に関する記述はほとんど見られず(62年家永版は「朝鮮独立政府」と「朝鮮解放軍」に触れているのが目に付く)そのため、教科書では1945年の解放後の朝鮮の動きに全く視点が行かないことになる。
F用語・地名
1980年代から、京城、北鮮、南鮮という単語は教科書上から姿を消す。(マスコミや書物で登場するたび、訂正を求められていた)が、古代から現代まで、かなり無神経に使われていたことが分かる。
GHI15年戦争、太平洋戦争の位置づけ
「日中戦争」は長く「日華事変」と呼ばれ教科書もそう記述している。
太平洋戦争が侵略戦争であったという認識は1946年、54年という戦後すぐの時期の教科書にもみられるが、日本国民が戦争被害者であったという認識のほうが強く、侵略戦争の実態は全く記述されていない。また、軍部の戦争責任論は早い段階から見られ、50年代の教科書記述は戦争の経過が詳しく、厭戦気分に満ちている。反面、中国戦線の侵略の記述は70年代になるまでほとんどみられない。国民もこの時期、侵略の実態に思いを致すことはなかった。家永訴訟はこのことを問題にした。きちんと記述されるようになるのは82年の「教科書問題」以後である。現在の教科書は中国戦線での被害の実態や東南アジアでの占領の実態を詳しく記述している。実教、桐原版は特に良心的。話題になりやすい南京虐殺事件は、本多勝一の「中国の旅」出版以後、記載されるようになるが80年代以後、すべての教科書に記載されるようになり、それは現在でも同様。
JK戦後の問題
戦争が終わったとたん、朝鮮は忘れ去られた、としかいいようのない、記述の少なさ。
現在の教科書においてもこの時期を振り返る視点はみられない。日本人はこの時期も今も自分のことしか考えなかったことがよくわかる。教科書記述によると南北分断、朝鮮戦争は人ごとでしかない。それどころか、朝鮮特需による日本経済の立ち直りを明るく記述した教科書がほとんど。分断の責任は東西の冷戦構造にある、としか読めない。日韓条約の記述も同様。(実教出版08年は「日韓条約」に少し踏み込んだ記述がある)。なぜ、在日朝鮮人が周囲にいるのか、そのことがいかなる意味を持つのか、教科書からは学べない。2002年の「日朝ピョンヤン宣言」に関しても拉致問題だけに触れている教科書もある。(比較的マシな記述として「日本と北朝鮮の国交正常化交渉は2002年9月、小泉訪朝で再開された。しかし北朝鮮の日本人拉致問題があり交渉は難航している」清水書籍)。この項こそ、もっとも重要な教科書問題といえるのではないだろうか。
LM戦後補償
侵略戦争であったという認識が十分でない限り、謝罪と補償は問題になりえないのだが、日本政府の侵略への正式謝罪は90年代になってやっと行われた。謝罪と補償がやっと課題になりえたということだ。補償抜きの戦争責任論はあり得ないという認識もごく最近まで見られなかった。戦争責任問題と戦後補償に関する教科書の記述もやっと2005年以後に始まる。2008実教出版や07桐原書店版はかなり良心的(それに比して、教科書採択率の最も高い山川版「詳説高校日本史」は05年版でも全く言及していない。)